北見市 自民党公認 北海道議会議員 塚本としかず

塚本敏一ストーリー

  • HOME »
  • 塚本敏一ストーリー

その1 塚本敏一の開拓者魂

塚本敏一のルーツは屯田兵

1897年(明治30年)6月10日、塚本敏一の祖父塚本宗助は、現在の石川県能美市から兄弟姉妹6男3女(宗助は3男)で野付牛(現北見市とん田3区)に入植した。
長男の實は屯田兵(*1)、他の8人は家族と登録されていた。屯田兵の任務は、開拓と北方警備 (*2)である。米と給与は支払われるが3年で打ち切られる。
毎日朝陽が昇ると一家総出の9人で、原始林の木を伐採し枝を払い、丸太にして積み上げ、夕方に火をつけて焼く、開墾の日々である。そして種まきをする。泣き言を言う前に、自活の道をつくらなければ生きていけない。(*3)

困難を乗り越えた屯田魂

祖父宗助たちは、計り知れない、筆舌に尽くしがたい困難に立ち向かい、北見の礎を築いた。(*4)また、塚本敏一の父勝尚は開拓の志を継ぎ、国鉄マンとなり指導機関士になった。そんな祖父や父から塚本敏一は多くのことを学び影響を受けた。
一つは不屈の開拓者魂である。原始林を開墾し食物を作るためにはどんな困難にも屈するわけにはいかない。
もう一つは、協力し合うことの大切さである。自然の恵みは限りなく大きい。しかしどうにもならない脅威もある。人間一人の力はたかが知れている。
塚本敏一のこれまでの足跡を見ると、彼には間違いなく開拓者魂の熱い血が流れている。

入植から100年そして120年へ

祖父宗助たちが北見に鍬を入れて100年の平成8年、北見市は市民あげて開基100年を祝った。その四年前に北見市開基100年記念事業準備室(後に推進室)が創設され塚本敏一は主査に任命された。平成7年に若手中心の実行委員会も立ち上がり、ミントくんの市民劇・ビデオアニメや紙芝居、はっかの香りと音の体験劇場、市民団体による未来構想提案(*5) ディズニー・ミッキーマウスたちの市内パレード(日専連北見が主催)など、はつらつとした夢のある催しが行われた。多くの市民が参加した記念事業は大成功であった。

祖父たちが拓いた北見、その未来を考える一大事業に孫の塚本敏一が深く関わったのである。
そして、入植から120年の節目が平成28年に迫っている今、急速な人口減少・少子高齢化などから懸念される北見の危機を救うべく、塚本敏一はふるさとの未来の子供たちのため、不屈の開拓者魂で新たな挑戦をすることになった。

(*1)198戸、初代第4大隊長小泉正保、2代大隊長は三輪光儀で北光舎の北光と共に北見市内の地名になっている。明治36年第4大隊解隊、これによって屯田兵現役、予備役は無くなる。明治37年屯田兵制度が廃止。
(*2)明治37年、日露開戦に伴い第七師団動員下令。
(*3) 信善光寺の屯田兵人形75体は日露戦争当時の写真をもとに大正12年に制作された。北見市指定文化財第2号
(*4) 屯田兵は、軍事訓練と農事のほかに、道路や水路などの開発工事、街路や特定建物の警備、災害救援にも携わった。また様々な作物を育てる試験農場の役目も兼ねた。
(*5) 北見を森で囲む市民の森構想、ソーラーによるまちづくり構想、ハッカの文化を次世代に伝える構想など

 

その2 塚本敏一の郷土愛

ヨーロッパへ2年間の放浪の旅

塚本敏一は明治大学政治経済学部在学中の昭和48年、ヨーロッパに放浪の旅に出かけた。5月5日のこどもの日に横浜港から船に乗り、3日かけてソビエト・ナホトカに到着。~鉄路にてハバロフスク。~空路にてモスクワ。~鉄路にてフィンランド・ヘルシンキに6日後の5月11日に到着した。しばらくヒッチハイクなどしながらヘルシンキに滞在した後、ヨーロッパに向かった。フィンランド~スウェーデン~ドイツ~オランダ~フランス~スイス~イタリア~スペイン~イギリスと巡り1年が経った。それぞれの国での体験は、見るもの聴くものすべてが初めてで、驚きと感動の連続であった。

異国の地でのつらい病気との戦い

そして、帰国の途につく。逆ルートでヘルシンキまで戻ると、疲れからか体調を崩し入院する羽目になってしまった。1度退院するが再入院せざるを得ない事態。余談であるが高福祉の国フィンランドは驚くことに旅行者でも医療費は無料である。結局、日本を出て2年という長旅になった。
塚本敏一はかねてより歴史のあるヨーロッパの街に憧れと関心があり、とにかくヨーロッパの国々を見、生活を体験したかった。しかし、言語など文化の違う国々での生活は、体調を崩したこともあり、思っていた以上に困難を極めた。この経験は国際感覚や大きな知識を得ただけではなく、どこにいても、どんな環境であろうと、困難に屈しない「精神力と忍耐力」が培われた。
また、日本を離れて初めて日本のすばらしさを再認識できたことも大きな収穫である。

「トシさんとマルガレータ」の出会い

その頃友達の紹介で知り合った女性が、後に結婚(昭和52年4月10日)することになる最愛の妻クリスティーナ・マルガレータである。旅行の最大の収穫について聞かれれば、かけがえのないパートナー・最愛の妻との出会いと言い切る塚本敏一。朝の連続テレビ小説の「マッさんとエリー」を思い起こさせる。北見版の「トシさんとマルガレータ」である。

家族の待つ北見に帰る。そして国際結婚!

帰国後、昭和51年3月に明治大学を卒業し、ヨーロッパでの体験を土産に、祖父が礎を築いた、愛する家族の待つ北見に戻り、北見市役所に就職した。そして1年後の昭和52年4月10日にクリスティーナ・マルガレータと結婚した。仕事は農務畑をスタートに要職を積み上げ39年たった今副市長を経て、新たなステージにさらに挑戦する。

 

○昭和48年といえば日本では石油ショックにより物価が急上昇し、トイレット・ペーパー,洗剤などの買いだめ騒動が起きた年である。
○小松左京の日本沈没、山崎豊子の華麗なる一族、司馬遼太郎の国盗り物語などがのベストセラーに。

 

その3 塚本敏一のチャレンジ

39年の経験と培った貴重な人脈

平成8年の北見市開基100年事業を成功に導いたあと、平成16年まで8年に渡り企画部に在籍した。明治大学のラグビー合宿を担当、神田市政の秘書課長や政策室長の経験は塚本敏一を一回り大きくした。市民部長、市民環境部長、企画財政部長を経て、平成22年、小谷市政で副市長に採用される。櫻田市政となってからも人柄、企画力、統率力などを高く評価され、副市長として合わせて5年間の重責を全うした。長年続いてきた市庁舎建設位置の問題、日赤病院の開院、図書館・武道館・プールなど大型社会教育施設の整備を進める市長を支え、実現した功績は大きい。

様々な人と出会い信頼関係ができる

塚本敏一は39年余りに及ぶ行政経験の中で様々な人と出会った。市民はもとより近隣市町村、国の職員や道職員、各業界や団体の人々など多岐にわたる。そして多くの人との信頼関係をつくった。
急速な変化に対応する、ふるさと北海道や北見市のために塚本敏一の人脈は大いに生かされるであろう。

自民党公認で道政にチャレンジ!!

2月18日新しいステージに挑戦するため副市長を退任した。
一方去る2月11日、自民党北見支部の道議候補者選考委員会が開かれた。メンバーは北見市4自治区全体から選出されている。自民党4支部支部長、商工会・JA・森林組合などの代表者である。勝てる候補・北見の課題を熟知しているなど総合的な判断から、出席者の満場一致で塚本敏一を公認候補に推薦することが決められた。そして自民党北見支部長が12選挙区支部長に上申し、道連に申請された。
2月20日、塚本敏一を自民党公認候補に決定した旨の通知が道連から届いた。塚本敏一は「身に余る光栄です。北見市唯一の自民党公認候補予定者として、ご期待になんとしてもお応えしなければなりません。身の引き締まる思いです。」と決意を述べた。敗ければ政権与党の道議が北見にはいないという事態になるから責任重大である。

武部新代議士、高橋はるみ知事、櫻田市長と連携し挑戦する

北見市・また北見市民にとって数多くの課題が山積している。国政・道政・市政が深い信頼関係に裏打ちされた三位一体の取り組みが不可欠である。武部新代議士、高橋はるみ知事、櫻田真人北見市長、そして塚本敏一による確たるチームワークがあって、はじめて輝かしい北見市の未来がある。
「明るく元気なオホーツク・北見」をつくり、「明日に希望が見える道政」を実現するために塚本敏一は命がけでチャレンジしている。

和田よしあき